2006-03-27

拝啓 北野操さま

お元気ですか。
私はとても元気です。

本当はあれからずっと考えていました。
上手に言えなかったサヨナラと
本当にもう終わってしまった恋と

そう私にとってあれは紛れもない恋だったのです。

もしも罵りあって別れたのなら
あなたがわたしを切り捨ててくれていたなら
わたしはあの恋を分類整理して箱につめておけたはずなのです。

なのにあなたは優しすぎました。

あなたにとって恋ではなくても。わたしにとっては恋でしたから。


拝啓 北野操さま

あなたの空は今日も青いままですか。
今日も風はあなたにはキラリと光って吹いていますか。

あなたはせいいっぱいの優しさで
愛する人を包んでいますか。

拝啓 北野操さま

あなたがわたしのことを忘れてしまった頃に
あなたのことを忘れられないと…手紙を書きます。

わたしはあなたのことを思い出すことはないのです。
わたしはあなたのことを忘れたことがないからです。

消えてしまったブログ

画面表示がされません。
過去の投稿は残っているように思えます。けれども画面表示がありません。
どこへ消えてしまったのでしょうか。

この投稿までが消え去ってしまうのでしょうか。

2006-03-22

世界一はすばらしい…けれども

野球世界一は快挙だった。

春と夏の高校野球の時期は燃えてしまいます。
普段はそれほど考えてもいない地元びいきが表にでてきてしまいます。
他の誰でもない自分自身の話です。

今回同じ思いが自分自身の中にあったかも知れません。
その思いは改めて別のところに書きましょう。

世界一は快挙でした。

2006-03-18

このページに埋めていくものは

このページに埋めていくものは講義録ではない。

西洋哲学の基礎講義でもなく日本文学論でもない。
宗教学でもなく民俗学・神話学も語らない。
講義のためのメモ書きを書くための場所ではない。

何かをではなくどのような位置つけにするかを思案していたけれども。
ココに記すものは単に雑文でいい。

読まれることを望むのではなく。
読まれるものを書くための草稿のその準備のための雑記帳であればいい。

作品は原稿用紙に落とすべきものだ。
インターネットという道具があまりに大きく手に負えなかったときに
自らの能力に余る仕事をしようとするのが間違いだった。
そのことに気付くのに一ヶ月かかったということだ。

みなが知っていること。
常識に過ぎないというのに。

2006-03-16

恵美子 その2

つばさの下の雲がぼくらのたどり着く地面を覆い尽くしていた。
暑いくらいのこの部屋が羽田に降りる。
着陸の直前の激しい頭痛がはじまる前にNOTEをつけ始めていた。

他人踏み入るべからずの心の風景の中から
ひとりまたひとりと人の名前が落ちていく。
いつか手帳の電話番号が消えて、住所録から削除される頃には
かれの顔つきまでが遠い記憶の中に落ちていく。
全ての人が自分を憶えていないことが気楽だと感じ始めると
秋から冬への嫌な季節がまたはじまる。

旅が懐かしさを増大させることはない。自分には…
列車のドアをむけるたびにモノレールのチケットを買うたびに
ぼくは人を忘れてきた。

今頃きみは忙しく動き回っているはずで
もう今は秋の色の風景の中にいて大好きな仲間たちと青春やっているのだろう。
そう思います。

耳が痛い。

地下鉄では窓の外をみていると言ったきみのことを思った。
別れの日。
言葉も交わさず目であいさつをしたきみのことを思った。

2006-03-14

おもしろがって

おもしろがって工事をやっています。

テンプレートをいじることは初めてのことです。
HTMLを駆使して作業中です。
駆使して?なんてとんでもない。
知識が完全に足りません。この言葉を聞いたのだってちょっと前のことですから。

本当のメモを
落書き帳としてのこのスペースをノートの代わりに使えるようになるのはいつになることやら。

修理は大変楽しい作業です。
慣れない作業にはそしてそれが興味をひくものであれば
時間を忘れて没頭でします。
それほど時間はかけられはしませんが。

2006-03-13

放漫と傲慢そして欺瞞

誰にも読まれることはないと書き込みながら、読まれることを期待しています。
誰も訪れることはないと書きながら、ココまでの道を目に見える形で準備しました。
人間関係を煩わしいと感じながら、捨てておかれることには我慢ができません。

秘密の基地と銘じておいて入り口に鍵をかけてはいません。
かくれんぼの鬼にみつけられない者のさびしさは味わいたくもなく
増して忘れ去られて放置されることなど許されることではありません。

けれど
誰にみつけて欲しいのかすら想定してはいない放漫。
全ての知人がやがては知ることになるのだと思えてしまう傲慢。

いつか見つけだされるために次々と準備する新しい秘密基地という名の公開広場。
行き着くところ言葉を気に入っているだけの孤島という表現。

偽善的であることを自らにだけは許してしまう欺瞞が自分にはある。

2006-03-12

本当にガラスの瓶に

本当にガラスの瓶に手紙をつめている気持ちです
ただココに瓶につめた手紙を置いても
どこにも流れてはいかない…それを実感しています

誰も訪れないこの場所に入り込んでいることに快感を感じています。
騒然たる人の波も嫌いではありませんが。
この静けさもまた快い瞬間です。
静けさを通り越して沈黙した世界。この同じ窓がインターネットの世界に解放されているなんて信じられないような状況です。

さて。
いつ人が訪れるのでしょうか。そしてそれをわたしはどうやってしるのでしょうか。

本当にガラスの瓶に手紙をつめてこの海の孤島から流しているような気分です。
この瓶詰めの手紙を受け取るモノもわたし自身。
またまたひとり芝居になるのでしょうか。

2006-03-09

投稿を開始してはじめて解ったこと

不思議な海を旅しています。このブログのドアを抜けると広大な海です。
舟影も見えず。生き物の声さえ聞こえません。
インターネットの海の中に存在しながらココには誰ひとり訪れることはありません。
大変不思議な現象です。

おもしろい。
それではココに読まれないことを前提としたブログを投稿してみよう。
まさに大洋上の孤島であることが判明したのだから。
この場所に日記をつければ間違いない。

透明な瓶に手紙をつめて

秘密基地を作ることばかりを考えていた。子どもの頃の話ではなく今現在のことだ。
完璧に仕上げた自分の城を公開することを夢見ていた。夢見ている。
たくさんの離れ小島を作成した。隠しておいて発見されることを望んだ。

全ての人に忘れ去られたいと望みながら。全ての人の記憶の中に生き残ることを画策した。
すでに「ここのつ」の部屋を用意しながら同じテーマしか扱えない自分がいる。
それでも何かが足りないと考えていた。感じている。

この場所に秘密の基地を置くことは躊躇していた。


春三月二十二日を前に今この部屋を始動させようとしている。
今となっては二十二日時別な意味などない日に、なにがしかの形が出来上がっていることを願ってのことだ。

脚本を書き、小説を書き、思えばたったひとりの読者に評価されたいと思っていた。
そのことを今自分自身が認めなければならない。

        ここに第一のページを記す。2006年3月9日。   
          日本を遠く離れた大洋上の孤島にて  雪虫の伝説