2014-12-24

純粋な眼

もしかすると純粋な眼とは愚か者の眼のことを意味するのだろうか。純粋な眼とは何も考えていない眼なのかも知れない。

2014-10-14

私はつい、必要以上のことをしゃべる。

親しい人間に限ってのことだけれど。どうでもいい人々に、あるいは信用できていない人々に毒を吐くことはない。そんな人たちは、一撃で切り捨てるか、粉砕してしまうから。そう思えば・・だ。
親しい人たちについ余計なことをしゃべる。傷つける。自分自身は極端に傲慢なので、傷つくことはないのだ。ストレスがたまることもないのだ。大体ストレスを感じるということの意味がわからない。分かったふりをしてやり過ごしているけれど、実はわかっていないのだ。

2014-10-01

彼女が洗濯をはじめたら気をつけなくてはならない

彼女は病気なのだ。洗濯は洗濯機がする。彼女の家の洗濯機は全自動だ。いまどき、全自動でない洗濯機を探す方が難しいけれど。それはともかくとして、全自動洗濯機の前で彼女は長時間洗濯機を眺めているのだ。正確には洗濯機の回転する音を聞いてぼおっとしているのだ。そしてしばらくすると一時停止ボタンを押して、洗濯機を沈黙させ、安心して居眠りをはじめる。実際に特別なことがない限り、彼女の睡眠時間は平均して1日16時間ほどになる。起きている8時間のうち、4時間くらいは熱心にお笑いとスキャンダルのワイドショーを見て、食事は膨大な量を食べるけれども、時間は驚くほどに短い。通常のひとの3.4倍から5.6倍の量を10分ほどでガツガツブタのように食べ、牛のように肥満している。あるいはトドのようにだ。

2014-09-21

古いドラマの話をかいているうちに

昔のことを思い出す。音楽やドラマや映画を僕らは記憶のメモに残しているのだ。

2014-09-09

もう厳しいことを言うべきではない。

相手が完全に自己完結していると判断できたら。修正することなんかできないのだ。問題提起も、解決の糸口もそして答えまでも彼はすでに持っているのだ。外部のアドバイスに耳を貸すことはない。彼はそのことを冒涜された、バカにされたと感じるだけなのだ。「バカにして」という怒りが彼らの常套句だ。
そんなとき何も言わないのが最良の方法なのだ。

思い出そうとしても

二度とあの思い・言葉は返ってこない。今日、お昼前、だったと思う。確かに何かのシッポが僕の前を通り過ぎた.僕は記憶したと思った。・・・けれど。それはすでに去った。思い出せないのだ。立ち止まってしまったソクラテスのように。もう言葉はやってこない。かれはときどきウソをつくのだ。

2014-09-06

別に。怒ったわけではない。

彼は調子に乗りすぎた。それだけだ。ごめんね。でももういいんだ。サービスはつかれるんだよ。同情していただけなんだ。申し訳ないが、もう君への時間は終了してしまった。それだけだ。

2014-09-05

懐かしい友人から電話がかかった

かれはいつも当日の1.2時間後の食事やお茶を希望する。要するにさほど忙しくはない日常をいきているのだ。かれはいつも暇なのだ。かれの世界はもう二十年間ほど前に時をとめて、かれの世界はその頃、膨張することをやめてしまったのだ。もちろん、深く沈み込んでしこうしているわけでもない。うすっぺらな考え。でもかれはとてもいい男で。

彼女は世界で一番美しかった。改築が終わったばかりの西武新宿の改札のそとで僕を待っている彼女のその立ち姿と言ったら。それこそ世界で一番美しかった。かわいかった。きれいだった。
その彼女も歳をとった。彼女が歳をとってしまったことが不思議だ。僕は彼女の現在のすがたを見て驚いてしまった。何かの間違いだと思った。けれど、このことは間違いでも何でもなく。ただの僕の幻想の崩壊を意味しているにすぎないのだ。余りにも脆弱な僕の情緒・思考・論理なのだ。

昔々。あるところに・・・昔話は今、始まる。

2014-08-11

まっくらではないけれど

灰色のくらい雲が空を覆っている。ただいつもの桜島の灰を含んだ雲ではなくて、雨粒を抱え込んで重くなりすぎた低い雲だ。
庭に小さなしじみのような蝶がいくつか飛び回っている。あまり好ましくはない蝶に思える、根拠は何もないのだけれど。
お盆の準備だ。

2014-03-19

満月はおそらく雲の中で

こんな季節を照らしてくれない。
曇天・・ドンテンという響きは悪くはない。

2014-03-14

何を書こうとしていたのか忘れた

何を書こうとしていた?何をメモしようとしていた?
きっと東京時代のことなのだ。おそらく、千葉の船橋や西船橋のそのあたりのことだ。

2014-02-28

確定申告。今年は郵送だ。

オーシャンズ13を観ながら、といってもタイマー代わりに流していたのだけれども。ときどき、手がおろそかになる。この楽しい悪ふざけの映画は3つどれもおもしろい。あちらの役者たちの芸達者ぶりがそこここに浸みだしていて楽しい。アルパチーノとガルシアはゴッドファーザーで義理の親子になりかけたし。Vincent Casselこきみいい。
税金は払える方がいいに決まっている。税金も払えないほどの収入ではやってはいけない。けど高いなあといいたくはなる。

2014-02-19

続けよう

碓氷峠の話だ。僕らは・・・思い出してきた。あれは現詩研(=現代詩研究会)のきっと合宿の帰りだ。あるいは、あかいとりの合宿の帰りだ。現詩研ならきっとアセガが大日向あるいは西君で、あかいとりなら間違いなく若狭だ。そうなのだ。あの木々。もやっとした空気の湿り気。軽井沢の合宿所。浅間山の風景。横川の釜飯。いくらでも・・・ここにも題材が埋まっていたんだ。日本航空の仲間と訪れた記憶はない。彼らは全て薄い印象しかもっていないのだ。同じ制服、同じバック、同じブランド、全部が貧しい。物語が不足しているのだ。

2014-02-14

なんだろう

中島みゆきのローリングは、僕を高田馬場へつれていく。いつでも皆がいて騒いでいた。くだらないことで笑ってけんかして酒飲んでふざけていた。けれど。気がつくとあの街に残っていたのは僕ひとりだった。あまりに長く学生を続けていたために。あまりに長く大学に居続けたために。仲間はみな卒業していってしまった。立ち止まっていた時間があまりに長かった。動き出したのは、故郷に戻ってきてからだ。

2014-02-06

纏わり付いてきて離れようとしない空気がある

不安というのでもなく、恐怖というのでもない。キルケゴールは結局正しくない。
声の大きなヘーゲルの方が好きだ。彼はどこかまちがっているけれども、でも好ましい人物ではある。

書くものすべてに意味があるわけではない。

けれども、すべてに意味がないわけでもない。価値はないかも知れないけれど、ほんの少しの意味ならあるかも知れない。

考え込んでしまう

自分自身について、己の人間の小ささについてだ。度量があまりにも小さい。他人や社会に対しての批判精神はかなりのもので、むしろ否定的である、全否定的である。自分自身のことは完全に棚上げで、である。つまり小さい。

彼女が亡くなってから20年になろうとしている

はやいものだ。彼女の子どもももう成人している。それどころかもう30になるだろうか。彼女の子どもが僕の子どもであるはずはないけれど。はずはないけれど。くり返して書けば。曖昧はかえって確定表現に変わる。怪しげな意味をもってくる。寒さの嫌いな女性だった。

2014-02-05

あれじゃあさ

キツネじゃなくてタヌキだよ。かつて妻は彼女のことをキタキツネと呼んだ。彼女のことが嫌いだったのだ。そのとき、妻はまだ妻ではなかったわけで、私とつきあっていたのは彼女だったのだけれど。だからこそ彼女はキタキツネと呼ばれ疎まれていたのだった。残念なことは僕自身はキタキツネを好きだったということだ。それは蔑称になってはいなかった。

そうだ

書くもの全てに意味があるわけではない。文章をお金に換えるようになってから、まともな文章が書けなくなってきているように思うのだ。そもそもまともな文章などはじめから書けてはいないのではあるけれど。

2014-01-14

乾いた寒さがやってきている

この街の住人は寒さとか雪の降る音とかの感情に乏しい。寒さといっても10種類くらいの寒さしか知らない。区別できない。今夜は乾いた寒さがやってきている。落ちてきているのは静かで乾いた寒さなのだ。