2019-09-12

敏感に季節を感じているからではなく




季節の変化に気付かぬほどに鈍感だから,そんな感性を持っていたいから,年中行事にはこだわりをもっていたのだ。
ただ,それを喜ぶ,あるいは喜ぶそぶりを見せてくれるヒトがあるからなのだ。あったからだ。
鈍感な僕は七夕を忘れ,十五夜を忘れた。
手紙を読んでくれるヒトがいなくなってしまったときに,手紙の書き方すらも忘れてしまったように・・だ。
梅雨が過ぎ,夏が去ろうとしていることすら,わかっていない人間がいるのだ。

2019-06-17

モンシロチョウがゆらゆらと通り過ぎた

あれから何度目だろう。きっとうちの庭にも蝶道の一筋が走っているのだ。あまり元気のいい羽ばたきではなかったけれども,「向こうとこちらを繋いでくれているのだよ」と遠い昔に話してくれた人のことを,その不確かな物語を思い出した。あの世とか,天国とか,私にはまったくわからない。パッションフルーツをたくさんたくさん食べた。今日一日の食事だ。パッションフルーツは懐かしい潮風の味がした。南の島の海岸の,暑くて,太陽がまぶしくて,私の少し苦手な風景の味がした。現実からほんの少しはみ出した,小さな小さな灰色のカケラの味がした。

2019-05-12

数年前から5月は・・

愚痴を書くことをやめよう。
ふかく物事を考えることをしないくせに,マイナスには考えないのに。ときどき・・ときどき感情の袋がカラカラになっていることに気付く。思いあたる。今年は5月1日にはもうメモリは0になっていたように思う。測定しなかっただけだ。
これだって虚構だ。

2018-11-05

脱ブラに取り組む企業ってなんだろう・・と思ったのに「脱プラ」だった。ちょっとちがった。


村上春樹は積んでおくのに、ディーヴァーは読もうとする。時間を作ろうとする。でも、ちょっと眼が悪くなったから‥活字が読みにくい。だから「脱プラ」と「脱ブラ」を間違えるのだ。あと2か月すると、少し眼がよくなるのだ。なりたい。
脱プラは社会的には注目すべきことなのだろうけれど。脱ブラだって、ちょっとおもしろい。脱ブラは流行るかもしれない。

2018-09-04

「家入レオ」を「入家レオ」と間違えた

私は音ではなく目で彼女を判別していたのだ。そんなことではなく「もし君を~」というフレーズが耳に残ってyoutubeしたら、なんだかどうでもいい人たちが歌っていて、私の耳を汚す‥それは言い過ぎだけれども‥別に君たちの声が聴きたいわけじゃないんだよとひとりごとしてる。そしたら、恥ずかしいむかし話を思い出した。中学生のころ「出家とその弟子」のことを「家出とその弟子」だと思って、いいタイトルだと手にしたのだった。安い文庫本だった。ほんとうはとっても有意義な目の間違いで…中身は勘違いを吹き飛ばす素敵な内容だった・・そんなことを思った。え?どういうこと?って。そうです。意味なんかありません。
じいちゃん先生が亡くなりました。少しまえの出来事です。大げさでなく私の命を救ってくれた先生でした。素敵なじいさんでした。

2018-08-13

父は寂しがり屋なのでお迎えは午前中です。


お盆はできるだけはやくお迎えして、できるだけゆっくりお送りします。ご近所でも迎え火、送り火の風習は見られなくなりました。ふるいしきたりはなくなっていきます。うちは我が家はがんこです。私ががんこなのです。
久々に文芸春秋を買いました。広告につられてしまいました。

2018-08-06

私の書くものすべてに意味があるわけではない。

もちろんだ。けれど私の書かなかったものごとについても、私が書くことを止めたことがらにもほんの少し意味があることだってあるのだ。