2018-11-05

脱ブラに取り組む企業ってなんだろう・・と思ったのに「脱プラ」だった。ちょっとちがった。


村上春樹は積んでおくのに、ディーヴァーは読もうとする。時間を作ろうとする。でも、ちょっと眼が悪くなったから‥活字が読みにくい。だから「脱プラ」と「脱ブラ」を間違えるのだ。あと2か月すると、少し眼がよくなるのだ。なりたい。
脱プラは社会的には注目すべきことなのだろうけれど。脱ブラだって、ちょっとおもしろい。脱ブラは流行るかもしれない。

2018-09-04

「家入レオ」を「入家レオ」と間違えた

私は音ではなく目で彼女を判別していたのだ。そんなことではなく「もし君を~」というフレーズが耳に残ってyoutubeしたら、なんだかどうでもいい人たちが歌っていて、私の耳を汚す‥それは言い過ぎだけれども‥別に君たちの声が聴きたいわけじゃないんだよとひとりごとしてる。そしたら、恥ずかしいむかし話を思い出した。中学生のころ「出家とその弟子」のことを「家出とその弟子」だと思って、いいタイトルだと手にしたのだった。安い文庫本だった。ほんとうはとっても有意義な目の間違いで…中身は勘違いを吹き飛ばす素敵な内容だった・・そんなことを思った。え?どういうこと?って。そうです。意味なんかありません。
じいちゃん先生が亡くなりました。少しまえの出来事です。大げさでなく私の命を救ってくれた先生でした。素敵なじいさんでした。

2018-08-13

父は寂しがり屋なのでお迎えは午前中です。


お盆はできるだけはやくお迎えして、できるだけゆっくりお送りします。ご近所でも迎え火、送り火の風習は見られなくなりました。ふるいしきたりはなくなっていきます。うちは我が家はがんこです。私ががんこなのです。
久々に文芸春秋を買いました。広告につられてしまいました。

2018-08-06

私の書くものすべてに意味があるわけではない。

もちろんだ。けれど私の書かなかったものごとについても、私が書くことを止めたことがらにもほんの少し意味があることだってあるのだ。

2017-09-02

目線を下げるという

子どもの目線で世界を見るという。少しちがう。でも今はその話ではなくて、子どもの面線よりももっと低い目線がある。そこから眺めた世界はまるで別の世界だ。
はじめは興味津々だった。けれどすぐに異様な雰囲気に気付いた。

2017-08-13

一度は行ってみたいところなど思いつかない。そんな場所が特別にあるわけではない。

けれど、もう一度見たい景色はある。もう一度行ってみたい街がある。もう一度だけ会っておきたいひとがいる。会わなければならないひとがいる。会いたいひとがいる。夏がもう引き上げようとしている。季節の巡りが速過ぎる。じかんがあまりないのだ。イアン・カーショー「運命の選択」を読み始めたけれど・・・。

2017-04-01

入学式の景色と言えば桜吹雪だ

風と桜の花びらの乱舞は30年ほどくりかえされると、もう原風景として刷り込まれてしまっていて、描くきかえることができない。特にあの街を離れて10年も過ぎてしまうと、もはや修正不可能だ。見ることがないからこそ、あの花吹雪の中を歩くことがないからこそ、この季節にはあの景色が繰り広げられているのだろうと・・想像してしまうのだ。
正門をくぐり長いスロープを上りきり右に折れると風が花びらが舞っているのだ。彼も彼女も彼も彼も・・・あの風景の中では若いままだ。当然のことだ。僕らの、彼らと僕らの入学式はもう40年も昔のことなのだ。