2014-02-06

考え込んでしまう

自分自身について、己の人間の小ささについてだ。度量があまりにも小さい。他人や社会に対しての批判精神はかなりのもので、むしろ否定的である、全否定的である。自分自身のことは完全に棚上げで、である。つまり小さい。

彼女が亡くなってから20年になろうとしている

はやいものだ。彼女の子どもももう成人している。それどころかもう30になるだろうか。彼女の子どもが僕の子どもであるはずはないけれど。はずはないけれど。くり返して書けば。曖昧はかえって確定表現に変わる。怪しげな意味をもってくる。寒さの嫌いな女性だった。

2014-02-05

あれじゃあさ

キツネじゃなくてタヌキだよ。かつて妻は彼女のことをキタキツネと呼んだ。彼女のことが嫌いだったのだ。そのとき、妻はまだ妻ではなかったわけで、私とつきあっていたのは彼女だったのだけれど。だからこそ彼女はキタキツネと呼ばれ疎まれていたのだった。残念なことは僕自身はキタキツネを好きだったということだ。それは蔑称になってはいなかった。

そうだ

書くもの全てに意味があるわけではない。文章をお金に換えるようになってから、まともな文章が書けなくなってきているように思うのだ。そもそもまともな文章などはじめから書けてはいないのではあるけれど。

2014-01-14

乾いた寒さがやってきている

この街の住人は寒さとか雪の降る音とかの感情に乏しい。寒さといっても10種類くらいの寒さしか知らない。区別できない。今夜は乾いた寒さがやってきている。落ちてきているのは静かで乾いた寒さなのだ。

2013-10-11

ノーベル賞をとる作家ではなくなったのかも知れない。

売れたかも知れない。売れたのだと思う。でもどんなに売れても問題は、中身だ。かれは昔書いた。夜明けに台所で・・・と。高級ホテルに泊まるなとは言うまい。おいしいワインを準備するなとは言うまい。そんなことじゃない。おもしろい作品が読みたい。私は彼のファンなのだ。

2013-08-29

そこに毒はないかも知れない

けれど悪意だけはある。自分で言うのだから間違いない。間違いはないけれど、小さな人間だ。私がだ。私には計画性も夢もなく。ただ、現実があるだけだ。現実をどうにかねじ曲げて、自分の思うように書き換えてしまっている。だから、夢をみない。正確には夢を見なくなった。ここ10年、いや20年夢をみていない。最後に見た夢は、その内容も覚えているから。夜眠って見る夢まで、見なくなって久しい。
私は夢をみたことがない。この10年くらいのできごとだ。